◇聞き手 :
お疲れさまでした。横山選手の記録は 5 M 55 で予選敗退となりましたが、いかがでしたでしょうか? 11 万人収容のあのスタジアムでの闘いをお聞かせ下さい。
◆広田コーチ :
とにかく、天候が心配でした。 25日に現地に入ったのですが、雨にならなければいいなあと、祈っていました。
◇聞き手 :
競技の当日には天気をどうでしたか。24 日辺りから雨が降ったりやんだりしていたように思うのですが。
◆広田コーチ :
それが前日に降り出してしまい、当日の午前 10 時頃まで降っていたのです。でもありがたいことに昼頃には完全にやんで、夕方には晴れてきました。ほっ、としましたね。
競技前日に「テクニカル・ミーティング」が開かれて、競技委員からバーの高さを 5 M 25 からスタートすることが告げられのです。 以前から「雨の時は
5 M 25 からスタート」し、「晴れならば 5 M 40 からスタート」することを考えていたので、天気が気になりましたね。
◇聞き手 :
なるほど、それで申告はどちらにしたのですか。
◆広田コーチ :
横山選手から相談があったのですが、その時はすでに 5 M 40 からのスタートのほうがいいだろうと決めていました。本人も「5
M 40 からいく。」と力強かったので、それでいくことにしました。
◇聞き手 :
それで雨もやんだ試合当日を迎えたわけですね。出場選手や使ったポールの硬さはいかがでしたか。
◆広田コーチ :
TV 放送でお分かりかと思いますが、11 万人収容のスタジアムは大きくて広くて、いろんなスタジアムを知っていますが、すごいですね。まして女子棒高跳びの地元選手の銀メダルの活躍がありましたし、男子では有力選手にマルコフがいますから、注目度は高かったですね。
11 万人全てが観ているとは思いませんがそんな中で、55 名の選手が出場していました。選手は A 組と B 組とに分かれて、それぞれ
3 コーナーと 4 コーナーにあるピットで競技を始めました。
◇聞き手 :
横山選手は B 組ですね。
◆広田コーチ :
ポールの硬さは 15°の硬さと決めて使いました。競技直前に練習が 2 回あるので、はじめに 15.5°を使ったのですが、どうもポールの立ちが良くなく流れてしまうので、15°に変えました。
◇聞き手 :
ポールの硬さはいつもと同じと思うのですが、内容的にはどうでしたか
◆広田コーチ :
5 M 40 からのスタートでしたが、1 回目 2 回目と失敗しました。しっくりこないようでしたね。ポールの立ちが良くないので少し気持ち的に追い込まれた様子でした。それでも
3 回目にクリアーしたので、これからいけるるかなと思っていました。
次が 5 M 55 ですが、1 回目は今日一番のいい跳びだったですね。でも失敗して、2 回目も失敗でした。
この時に横山選手から「アップライトをどうするか。」というサインが指を使って出るのですが、知っている方もいるかもしれませんが彼の手はグリップで真っ黒なんですね、サインを出している手と彼の後のボードが黒いために同化してしまって数字が見えない状況でした。あせりましたね。それでもなんとか読みとって「前に出すように」というサインをオーバーアクションで指示しました。
そして 3 回目でクリアーしたわけです。しかしこの時は結構きつかったようです。こちらで見ていても疲れている様子がわかりました。
バーの高さが 5 M 65 に上がったのですが、1 回目、2 回目と失敗しました。今まで追い風だったのですが風向きも変わってきて、3 回目はほとんど跳躍になっていませんでしたね。
記録は 5 M 55 に終わりましたが、よくやったと思います。
◇聞き手 :
そうですね。私は全くの素人ですが TV を観ていてもあの中で戦う選手はすごいの一言です。そしてしっかりと闘えたことがまたすごいと思います。横山選手はあの雰囲気にのまれることはなかったのですか。
◆広田コーチ :
そうですね、本人が言うには「オリンピック前にドイツ遠征が出来たことがいい経験になった。あがりることはなく、むしろ冷静だった。」ということですから、雰囲気にのまれなかったと思います。
◇聞き手 :
今回の大会はどうでしたか。そして今後は。
◆広田コーチ :
フランスの選手がよくなかったですね。ガルフィオン選手が 5 M 65 で敗退ですからね。もうすこしやると思っていたのですが。ブブカ選手も
5 M 70 からスタートで記録なしでしたね。
オーストラリアのマルコフ選手の跳躍はトップレベルのうまさがありますね。水戸国際で見られたと思いますが、それでもここでは勝てませんでした。
そこへいくとアメリカの選手のファイティングスピリットはすごかったですね。優勝の原動力はそれそのものでしょう。すごいですよ。 これからのいい材料のひとつになると考えています。
横山選手ももう少しだったかなという思いはあります。しかしつきなみですが、世界と闘えるにはどうするかを、いろんな角度から反省し研究検討していきたいと思っています。
◇聞き手 :
お疲れのところありがとうございました。次のアテネ大会も期待しております。
(2000.10.10 広田哲夫氏への電話インタビューをもとに作成しました。)
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